真理を求めて 2-1 自然編
自然が豊かな山の中、いると、心が穏やかになってしまう。
山の中に入らなくとも、遠くから山々を見ているだけでも、
心は落ち着いてくる。
髭の仙人は、精神世界に入る前であるが、17,8才の頃、
自宅の二階から、毎日のように生駒山を見ていた。
夏は生駒山に入道雲がモクモクと湧き出てくる。
何時間も見ていた。
大空に浮かぶ雲を見ていると、心が澄みわたってくる、
今となって考えると、心が澄みきっていた感覚は、空の世界だったのかな、人の心は、地位、名誉、出世をし、金儲けができると、偉そうにする
人々が多いのである。
地位、名誉を得、-出世をし、金儲けができない人も
心はザワザワとなり、恨み、ねたみ、そしり、怒り、
自己嫌悪に陥ったりする。
心は雑踏と混乱の世界にいるようだ。感謝、愛にしてもそうである。
人に対して感謝であり、人を愛することが、良いとされている。
髭の仙人は伝える。
自然なる緑に感謝する気持ちを作っていくことです。
自然に感謝する気持ちで人々と接していけば良い。
自然を愛する気持ちで人々と接していけば良い。
自然を相手にしていると、善なることも囚われ拘りが消滅する。
善いことをやろうと思っている間は、出来ていない証拠です、
自然界の一部である緑を見つめながら、自然を相手にしていくことです。自然を見て思うことが、その人の心の状態です。
自然は汚い、
自然は争っている。
隣の庭は綺麗だが、私のところは汚い、
と言った人がいる。
マアー、最初はそうだろうなー自然なる緑に心を合わせていくことです。
自然なる緑、山、川、海、雲に意識を合わせることです。
自然な心になるべき努力するべきなのです。
自然な心で人々と接する。自然なる緑を、何十年と眺め、見つめてきた。
緑は、静の世界、静かであるが、彼らも生きている。
自然の摂理に従って生きている。
緑は自然に生きているが、自己のやるべきことは、しっかりとやっている。
強く、美しく、生命を躍動させて生きている、しかも静かである。
静かであるが、静かを目的にすることではない。
自然を相手にすることが目的である。
結果として静かになるということである。自然なる山川草木、雲、自然を相手にしていくことです。
自然なる心を会得すると、樹木、草花のように、
強く、美しく、生命を躍動させて生きていくことが可能となる。
自然なる心となると、強く、美しく、生命を躍動させて生きているが
静かとなる。
神さま、仏さん、感謝とか愛、慈悲であれば解るのだが、
自然であると説いても漠然としているので解らないだろうな、
しかし「自然を相手」に、続ける人だけが自然の心を得られるのであろう。
最近自然に触れる機会がめっきり減っていたので、
金比羅さんに行ってきました。
合計で1386段もの階段は本当にきついです。
でも、自然の中を歩み進めていくことで、
日頃味わえない感覚を体中で満喫できた気がします。
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