髭の仙人 輝く未来へ

『輝く未来へ』を引用
http://sennninn.com/2sinnzitu2.html#

前回、

真理を求めて2、2013年2月9日に記したように、何も欲する
ものは無いと記した。

心の思い、精神的なものを捨てることに決心したのです。
自我、我、自分、私、俺、名前、一人称と呼ばれているものから、
捨てていった。

自分という意識が存在しているから、他の人を意識し、自分の快、不快で、
心があれこれと判断してしまうのである、
自分というものが無いので、心で判断しないので、苦しみも不快も感じない。
これら一人称の心を捨てると、、、
自分というものを意識しないので、思うことも少なくなるのです。

悟りとは何だろうかと、、、サイトを検索すると、YouTubeで悟りについて
話をしている人がいた。
インドの人であろうか、、、彼は悟ったら、心はこのようになると言っている、
彼の言っていることが、良く解るのです、彼の言っている通りの心境に
なります。
彼の言っているような悟りに達したいのであれば、
自我、我、自分、私、俺、名前を、捨てる,捨てると思うだけで、捨てる事が
できるので、彼のような悟りの境地に着くであろう。

浄霊法に記載していることを読めば解るように、
自分を強く思っているのです。
人を愛したいのです、他の人から愛されたいのです。
あんなこと言われた、こんなことされた、、と恨みに思う、
その裏には、あんなこと言われなければ、こんなことされなければ
愛されたいのに、、、の本音が隠されています。

人を愛したい、愛したいという人は、自分が愛されたいのです。
自己愛です、、

自分という意識があるから、自分中心となってしまう。
自分中心となっては苦しみとなってしまいます。

悟りたいのであれば、一人称である、自我、我、自分、私、俺、名前を
一つづつ捨てる作業をすることです、

髭の仙人は、この悟りでは不満足であった。
自問自答した。

お前は
「悟りを得てどうするつもりなのか、お釈迦さんのようになりたいのかと」
我が魂は明確に
「ノー、」と答えた

「悟れば、楽しく喜びに満ちた人生を歩めると思っていたようです。」
と答えた。
「楽しく、喜びに満ちた人生を歩みたいのか」と問う
「それも違う」と我が魂が答えた。

一人称である、自我、我、自分、私、俺、名前を捨てて、それ以上のものを
捨てていった。
そこで得たものは、このような悟りは通過点に過ぎなかった、

とても難しいことです。

そもそも悟りとは何なのでしょう?

さまざまな欲望があって、それに対して行動を起こす。

そしてその結果が良ければ嬉しく思い。悪ければ悲しく思う。

愛を持って他人に接する、自分に接するように

心がけていても、いつのまにか自分勝手な行動をしている。

そして、反省し、先に進む。